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miyasu さんが掲示板に投稿してくださった野球ネタです

2. ミスタープロ野球(中)〜記憶に残る選手

ルーキーイヤー以後、着実に成績を積み重ねた長嶋だが、
ここで長嶋と王を表すのに言われてる言葉の1つを紹介しよう。

「記録の王、記憶の長嶋」という言葉である。

確かに、シーズン通算打率、オールスター、日本シリーズ全てで
打率3割を記録したのは長嶋だけなのであり
大舞台に強く記憶に残る選手であったのがこの記録だけからでもわかる。


最も記憶に残るシーンは天覧試合のサヨナラホームランであろう。
昭和34年6月25日、天皇皇后両陛下がプロ野球を
初めて見に来た伝統の巨人ー阪神戦の事である。


先発投手は巨人藤田元司(前述で出てきた監督と一緒)、
阪神は小山正明(通算320勝、精密機械と言われてた)の
両エースの投げあいで始まった。

5回、阪神1点リードで4番長嶋が小山から同点アーチを放つ
その後両チームが点の取り合いで阪神が4−2でリードしたまま
7回の裏、ランナーを1塁に置いて6番王が小山から
同点アーチを放つ。

これがONアベックアーチが始まった瞬間であり
その後この2人がチームの中心となり106ものアベック弾を
放つ事になるのがわかるのはもっと先の事である。

同点に追いつかれた阪神はもう一人のエースである。
村山実(故)を投入してきた。 (ザトペック投法、長嶋のライバルでした
70〜72、88〜89阪神監督)

そして9回の裏先頭打者の長嶋と村山が対決した。
ここまで対戦成績は13打数2安打だが2安打がホームラン
と対戦成績はほぼ5分。そして、カウント2−2からのストレート
を長嶋がサヨナラホームランを放った。
この瞬間はプロ野球史の印象的なシーンとして今尚現在語られている

これ以後長嶋は皇室が観戦する試合で5割近い打率を残すという
非常に大舞台に強い所を発揮した。

さて、長嶋さんのエピソードは他にも上げればキリがないので全ては
上げれないが、2つ紹介しましょう。


1つは、昭和46年6月17日、広島戦の事。
七回二死三塁、一打出れば勝ち越しのチャンスという場面で、
広島バッテリーは、敬遠策で勝負を回避する。
だが長嶋は敬遠と分かると、何とバットを持たず素手で打席に
入ったのである。結果は結局勝負して貰えなかった。
だがこれは、1打席1打席に賭ける長嶋さんの気持ちを表した
シーンであり、その事に関する無言の抗議であった場面である。


もう1つは長嶋引退試合の話。
昭和49年10月14日の事10月12日に中日の優勝が決まり、
巨人がV10をのがし長嶋は引退発表をした。
よって13日のダブルヘッダーが引退試合になる予定であったが
雨で順延で次の日が引退試合となったのであった。
ただし、その14日は月曜日、どんな長嶋ファンにもその日は
予定が入っている。

テレビ局も月曜日に消化試合を放映する余裕はなかった。
だが、13日に中止が決まった時各テレビ局から放映させてくれとの電話が鳴り続け
結果日本テレビのスタッフは定時番組を飛ばして試合を放映する事となった。

そして、14日の日秋晴れな天気で、人々は皆後楽園球場へ
向かった。

引退試合の第一試合の二打席目、長嶋は通算444号ホームランを
放つ。そして王が第4打席に惜別の思いを込めたホームランを放つ。
そして、これが最後の106回目のONアベックアーチとなった。


第二試合の8回裏、一死一・三塁のチャンスで長嶋現役最後の
打席が回って来た。
結果はサードへのダブルプレーに終わった。だが、1塁へ
全力疾走する長嶋の姿に人々は拍手をした。

そして、引退セレモニーであの有名な言葉、
「我が巨人軍は永久に不滅です」
(この他にも言った言葉は興味ある人は調べてね)
と言い背番号3は静かにバットを置いた。

次回、最終回に続く


posted by miyasu-san on 2003/12/07(Sun) 02:21
[BBS No.381]

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